みちのく合気投稿文

合気と稽古の素晴らしさ           令和2年12月4日

                                     福島県合気道連盟 合気道東湖塾 安野 裕史

 私が合気道を始めたのは、今から約1年半前になります。  始めたきっかけは、合気道の開祖である植芝盛平先生の「武産合気」を読んだことでした。  私は、そこに書かれている合気道の精神的な部分に非常に興味をそそられて、気が付けば、現在お世話になっている東湖塾に見学を経て入門していました。  さて、稽古を始めればすぐにでも合気道の精神的な部分(氣であったり和合の精神等)を実感出来ると思っていた私でしたが、実際はそれどころではありません。  そう、自分の身体が思い通りに動かないのです。  先生や先輩の技、ゆったりして見えるようなものでさえ、いざ自分がやろうとすると、足の運び一つ満足に出来ない。受け身もしっかり取れず、起き上がるのに苦労してしまう始末。  「ここまで自分の身体を自分で動かせないとは・・・」とショックを受けたことを今でも覚えています。 そして同時に、「果たして、自分は本当に合気道の技が出来るようになるのだろうか」と考え込んでしまいました。  ですが、そんな考えはすぐに払拭出来ました。それは、合気道の稽古方法にあります。  試合が無い合気道の稽古は、2人1組で、先生の指定した技を交互に掛け合います。その際に相手から、自分の出来ていない部分や良かった部分、注意点や技の理合など様々なアドバイスをいただけるのです。  こちらが仕手ならば、技がかからない理由、自分では気づいていない身体の癖などを実際に受けた人からすぐに教えてもらい、反対に自分が受けの時は、相手の技に対してしっかりと受けを取ることで強い身体をつくることが出来る。これ程までに効率的な稽古は無いと思います。  また、合気道は年齢、性別、業種や国籍を問わずに1つの畳の上で、皆がお互いを尊重し合いながら稽古を行います。そして、力や年齢に関係なく、何十年と続けていくことが出来ます。 それは合気道が、争ったり、競い合ったりする武道ではないからこそ実現しているのであり、 まさしく「和合」の1つの形なのだと私は思っています。 そして、これからもそんな素晴らしい合気道の稽古を続けていきたいと思っています。  暫くは、精神や技術云々の前に、動ける身体づくりになりますが、1つ1つの稽古を大切にしていきたいです。  また、コロナ禍という未曾有の状況において、従来のような練習が出来ない道友の方々も居られるかと思います。私の道場でもマスクの着用や手洗い、うがいの励行をしています。